「パーソナルトレーナー」一本で生きていくために!

「勝った!と思った日」

ニューヨーク、マンハッタン5番街
高層マンション45階にオフィスを構えた
2016年9月1日。

風景を見渡し、勝った。と思った。

「パーソナルトレーナー」
目指し始めた頃は、
職業としても認められてないような時期。
○お小遣い稼ぎね
○ちゃんと就職しな
○あれは一部の限られた人にできること

罵詈雑言、毎日のように浴びせられた
20〜26歳までの日々。

希望だけではなく、
憎しみや悔しさも混ざっていた時期。

それをバネに、勉強し試しの
トライアンドエラーの365日。

自分のお金で、広告、チラシ、セミナーと
全てを費やし、
パーソナルも月36件から176件へ。
それでも全く変わらない。

認めたくない。
という雰囲気がバチバチに出ていて、
やれ批判、隅をついて批判、
ことあるごとに突いてくる、
そんな下積み時期。

頭突きで壁を破壊したり、
耳鳴りで病院へ搬送されたり、
1ヶ月仕事を休む精神状態、
経験してきました。

「パーソナルトレーナー」
僕にとってはこれ以外にない!
もダイエットで悩んでいた時期に救ってくれたこと。

これだけは人の指紋一つ付けられるのも許せないほど神聖なこと。

ムカつきすぎて拳を握りすぎ、
薬指を骨折したこともありました、、

「運命を決めた日」
ある日、お客さんから一言。
(スポーツクラブの会員で、90分だけジムを使える種別の方)

「佐久間くん、受付けで1分時間外だから延長料払ってって言われた。。」
と聞き、完全に気持ちが切れました。

ここ辞めよう。

書いててもイライラが蘇ってきます。
毎日日本酒一升瓶飲んで叫んでましたし、
書けないようなことも心に思ってました。。

それでもきっかけになった
「自分のジムを作ろう!」
それが全ての始まり。

正直、教養も常識も普通の人からしたらありませんよ。

嫌ならやらないし、
納得しなければ嚙みつく。

それは全て本質に、
「パーソナルトレーナー」という
一生を捧げたい、神聖な職業があったから。

何度も借金を抱え、悩んで泣いて、
嫌がらせも腐るほど受け、
根も葉もないことも言われ、
這いつくばってたどり着いた
世界の中心NY本社の設立。

「ここから世界中に伝えていける!」

正直、3日くらい
夢か現実かわからない日が続きました。

打率でいうと最高1割、失敗9割ですが、
この1割が本気で「勝った」と思えた。

しかし、ここからが悲劇の始まりでした、、

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